学生時代のアルバイトで学んだこと✨渡邊芳樹さんが大切にしている経営の価値観とは?

 

おはようございます☀Reikoです🌻

 

「やったことがあるアルバイト」

 

はい。お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、「今週のお題」ではございません(笑)

少し前に「今週のお題」としてピックアップされたお題ですが、今回は少し掘り下げた内容を書きたいと思い、こちらの話題を使わせていただきます🍀

 

今振り返ってみても、学生時代は本当にたくさんのバイトを経験させていただきました。

今日は、そんな学生時代のアルバイトに関するエピソードと、体験からの気づき、そして友人の経営者である渡邊芳樹さんと通ずる価値観ついてお話ししていきます。

 

目次

  1. 海外の夏休み
  2. バイト漬け
  3. 印象に残ったアルバイト
  4. 学生時代のアルバイトはするべし
  5. パートタイムの視点と経営者の視点
  6. 最後に

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🌻海外の夏休み🌻

皆さんは学生時代、どんな夏休みを過ごされていましたか?✨

 

部活やサークル漬けの日々だった方もいれば、研究で忙しかった方、もしくはバックパッカーだった!という方など、千差万別だと思います。

 

私はどうだったかというと、一時帰国中にバイト漬けで荒稼ぎしていました!笑。日本の大学では4月入学の大学が殆どだと思いますが、海外の大学では9月入学が一般的なので、5月頃に学期末の試験が終わり、夏休み期間が5月〜9月頃と約4ヶ月もありました。また、日本のような春・秋・冬休みがない分、1年の1/3が夏休みという大胆なスケジュールでした。

社会人になっても、よく外資系の人が2〜3週間まとめて休みをとっているイメージがありますが、この Long Vacation の文化が根付いているのではないかと思います。

 

1つだけ残念だったのは、海外には日本の「成人式」のようなセレモニーはなく、思いっきり授業と被っていたため、一生に一度しかない「成人式」に出られなかったことです。

私は私立の中高一貫校だったため、成人式は母校での開催でした。日本では同窓会のように皆綺麗な振袖を着て盛り上がっていて、ちょっぴり羨ましかった記憶があります。

 

ただ、ヨーロッパは夏を過ごすにはとても快適で、日本の夏と違って湿気が少なく、北海道のような避暑地にいる感覚でした。天気が良いと、夜中の23時頃まで水平線ギリギリでお日様が顔を出していて、大人達が朝まで飲んでいたのもよく分かる気がしました。

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そんな快適な夏休みを過ごせるかと思いきや、学生時代の悩みは、物価高で有名なロンドンを超えるインフレでした。

今でこそ、日本でも最近はインフレによっていろんな原材料の価格が高騰していますが、世界の物価の上昇率に比べると、日本は比較的安定している方だという印象でした。

切手の値上がりも、1981年以来42年振りですし、東京メトロでは28年振りに運賃を値上げしました。逆にいえば、それまでずっと物価が

安定していたということになります。

(参考

日本郵便、はがき・切手の交換手数料値上げ 42年ぶり - 日本経済新聞2023年3月18日に地下鉄や電車が相次いで運賃値上げ)

 

私がいた留学先では、恐ろしいことに、たった4年間でほぼ全ての物価が上がりました。

日本と違って労働組合の力が強いため、賃上げの為のストライキはしょっちゅうでした。「今日はストライキの日だから、バスは来ない」なんてざらでした(笑)。在学中の4年間で電車、路面電車、郵便局、バスやなんと空港まで、ほぼすべての公共事業がストライキを起こしていました。賃上げの皺寄せは当然、消費者にいくため、たった4年間で切手代が毎年10円〜20円上がっていくような感覚でした。

どさくさに紛れて毎年授業料も値上がりしていたため、夏の間授業もなく、ただ4ヶ月遊んで留まるのは金銭的に負担が大きく、毎年夏の間は一時的に日本に帰国することにしていました。現地でバイトするにもビザの関係で働ける時間が限られていたため、稼げる金額にも限界がありました。

 

そんな破天荒な国で、憎まれ口をよく叩いていましたが、多国籍な人種が集まり、バスの中でも本屋に行っても気さくに話しかけてくれるフレンドリーなアイルランド人が私は好きでした。当時部屋を借りていたシェアハウスには、パワフルな大家のおばあちゃんも一緒に住んでいて、本来なら家を空けている間も家賃を払うのが普通なところ、私の経済状況を察してくれたのか、帰国中はご好意で家賃の支払いはせずに済んでいました。

いろんな人に支えられてきた4年間だったと今でも感謝しています。

 

バイト漬け🌻

さて、日本に話を戻すと、一時帰国中はここぞとばかりにアルバイト漬けの毎日でした。やったことのあるバイトとしては、イベントの事務局のバイトや、アパレル店員、塾講師、事務の仕事など、ありとあらゆるアルバイトを経験しました。ほぼ毎日、朝から晩までバイトに明け暮れていて、空いている時間で日本にいる友達と遊ぶ、という多忙すぎるスケジュールでした。なので下手すると社会人より稼いでいだと思います(笑)(その分、お金の使い方を知らなかったので同時に散財もしてしまっていましたけど😅)

 

詰め込み過ぎたのか、バイトへ行く途中に脳貧血で倒れたことがあり、気がついた時にはなぜが靴も脱げた状態で駅のホームに倒れて、駅員さんに「大丈夫ですか?」と声をかけられていたことがありました。アルバイトとはいえ、限界まで働いたことで、学生にして労働対価収入の限界を体感しました(笑)

 

🌻印象に残ったアルバイト🌻

数あるアルバイト経験の中で、それぞれお世話になった人や楽しかった思い出もありますが、その中でも、「人生初めてのアルバイト」は今でも忘れません。

高校卒業後、留学に行く前の短期間にできる仕事を探していました。ネットで見てみると、デパートのラッピングの仕事の募集があり、「これなら簡単そうだ!」という安易な考えて説明会に申込しました。

いざ行ってみると、(今考えたら怪しさ満点なのですが)「ラッピングの仕事は満員になったので、こちらの仕事なら空いている。」と案内されたのがマネキンのお仕事でした。

マネキン販売とは、店頭などで販売員が商品説明をしながら販売する方法のことで、コロナ前はよくスーパーなどで見かけた試食販売もこれにあたります。

(参考: マーケティングがわかる事典 オンライン版 | 日本リサーチセンター)

ということで、デパートの裏方でラッピングをやるはずが、スーパーでマネキンデビューをした私は、まずは地元のスーパーでお饅頭の販売をすることになりました。

 

そこでマーケティングの片鱗に触れることになりました。

その日は5〜6種類くらいのお饅頭を店頭で販売するのがミッションでした。デパ地下なんかに入っているケーキ屋さんの簡易版をイメージしていただければと思いますが、そこで「いらっしゃいませ〜。」と呼び込みをしていました。

「そうだ!先にパックに詰めてしまえば渡すの簡単だし効率が良い。」とひらめいた私は、プラスチックの入れ物に、あらかじめ5〜6個入ったお饅頭のパックを作り始めました。

 

しばらくすると、そのお饅頭のメーカーの人らしき販売担当者がきて、「これじゃ売れないから!」と、私がせっかくパックに詰めた饅頭をトレーに戻し、「さぁ、いらっしゃい!どうぞ好きなお饅頭を選んで下さ〜い。」と、お客さんが自ら選んだお饅頭を、目の前でパックに詰めていく方法に切り替えました。

 

すると、中身はまったく同じ饅頭にもかかわらず、面白いほど飛ぶように饅頭が売れていき、人が人を呼び行列が出来始めたのです。子供ながらは私は、プレゼンの仕方でここまで見え方が変わるのかと衝撃が走りました。

 

ちなみに牛乳と乳製品の表記の違いで、本物の牛乳なのか、「牛乳もどき」なのかを判別できることも、このアルバイトを通じて知りました。スーパーの牛乳コーナーに行くと、製品ラベルを見てみると、確かに「牛乳」と書かれた製品と、明らかに牛乳っぽいパッケージをしていますが「乳製品」と書かれた商品があることがわかります。ぜひ、次回スーパーに行かれる際は見てみてください。

 

🌻学生時代のアルバイトはするべし🌻

いずれのアルバイトにせよ、今振り返れば非常に良い社会経験をさせていただいたと思っています。

賛否両論あるとは思いますが、個人的な意見としては、学生時代のアルバイトは積極的にやってもいいんじゃないかなと思います。

 

そう思う理由は2つ。1つは、先程のエピソードでもご紹介した通り、学生時代のアルバイトでの経験から社会人になっても大切なヒントを得られるチャンスがあること。もう1つは、小さな額だとしても、自分で働いて稼ぐことを早めに体験できることです。

 

学生時代は未熟だったため、親に反抗的な態度をとっていました。実は留学を決めたのも、一部はそんな衝突してしまう親と離れたいというのも理由の一つでした。ですが、途中で我に返って気が付きます。私立の中間一貫校に行けたことも、海外の大学に行けたことも、両親や祖父母の経済的な支援があったからであり、もしそれがなければ、今はきっと全く違う人生になっていたんじゃないかと思います。

友人であり経営者の渡邊芳樹さんは、高校卒業後すぐに社会に出られましたが、高校に進学する時にはその事に気づかれ、大学に行って高い学費を払うよりも、早く社会に出て稼いで親孝行しようと決められていたそうです。

自分が海外の大学を選んだ理由も、高い学費を出しても、自分だったら4年間遊んで終わってしまいそうだなと思ったからですが、「やってもらうのが当たり前」ではなく、周りや自分の親に対する感謝の気持ちを学生の時から待ち合わせていた渡邊さんは別格だと感じます。

 

一度決めた道はとことんやる。「入学は簡単だけど、卒業するのは難しい。」という定評がある海外大学ですが、実際に入ってみて、あながち間違っていないと思いました。私にとって英語は母国語ではないため、やはりどんなに頑張っても現地の人と同じパフォーマンスを発揮するにはハンデがありました。ですが、現地の人でも留年している人がいる一方、最終的には周りの人の力を借りながら、ストレートで卒業することができたのは、結局は本人の意思次第だと思います。

 

🌻パートタイムの視点と経営者の視点🌻

高校卒業後、大手電力会社に入社された渡邊さんは、骨を埋めるつもりで毎日仕事→飲み会→家の往復を10年以上続けてこられました。

ですが、本当は自分の人生どうしたいか、本当はどうなりたいかを考えた時、経営の道に進まれることを決められたそうです。

渡邊さんにとって、「経営」というのは人生を良くする為の手段であり、目的ではないといいます。

パートタイムは「時給制」。自分の時間を切り売りして、その対価として報酬を受け取りますが、何もないところに「価値」を生み出して提供していくのが、経営者。

お饅頭をパックに詰めて、ただお客さんがくるのを待っていた私はまさに「アルバイト」視点でした。そこにいかに価値を付けて、より多くの人へ届けていくか、それが渡邊さんのような「経営者」としての視点なのだと思います。

 

🌻最後に🌻

人間はできるだけ早くから、良き師、良き友を持ち、良き書を読み、
ひそかに自ら省み、自ら修めることである。人生は心がけと努力次第である。

哲学者の安岡正篤氏の言葉です。安岡氏は「平成」の元号の考案者であり、またその人徳の深さで知られていました。

 

(引用: https://www.chichi.co.jp/info/anthropology/hero/2018/%25E5%25AE%2589%25E5%25B2%25A1%25E6%25AD%25A3%25E7%25AF%25A4/)

 

「出会う人で人生が変わる。」本当にその通りだと思います。人生の大切なことに気付かせていただける人が身近にいるのは、とても幸せなことだと思いました。

 

「実るほど頭を垂れる稲穂かな。」

私はこの言葉が大好きです。周りへの感謝を忘れず、渡邊さんのように謙虚な姿勢を持ち、日々生きていきたいですね。