渡邊芳樹さんが経営を選んだ理由

最近、職場の先輩が転職し、年収が200万円程アップしたという嬉しい報告を受けました。


とても努力家の方だったので、よりやり甲斐が感じられて、ご本人が生き生きとできる職場とのご縁に恵まれたようで、本当によかったなと感じます。


今日は、ちょっと真面目なお話。


社会人3〜4年目で、多くの人が選択肢として考えるであろう「転職」。

昨今は、「売り手市場」と言われていて、親の世代と比べ、企業間の人材の流動はかなり多くなりました。


従来より、日本は「勤続年数」が人材の評価として採用されてきた傾向があります。

今でも「年功序列」を評価基準にしている会社は多く、1〜2世代前までは正規雇用者として定年まで勤め上げることや、会社も終身雇用制度を導入している事がごく一般的でした。「安定志向」という言葉は、この終身雇用制度から生まれたのではないでしょうか。


一方、現在はというと、日本には4,000社近く会社が存在しますが、そのうち1〜3年以内の離職率が0%の会社は、たったの100社(2.5%)。1〜3年以内の離職率が30%前後の会社が殆どです。


「自分が学生だった頃は就職氷河期の真っ只中だった。」

そう話すのは、現在オーガニックショップなどの小売業で経営されている渡邊芳樹さん。


そんな中、日本のインフラを支える「東京電力」に内定をもらった渡邊さん。当時は就活生の選択肢は少なく、内定を辞退した学生は、同じ学校の次期卒業生がその企業に就職できなくなるため、内定が出たらその企業に決めなければならなかったそうです。


今でも、内定の承諾に圧力をかける会社も一定数あると思いますが、当時の会社と就活生では、力関係が今とは違っていたと想像できます。


長男として早く社会に出るため、高卒から東京電力で働き始め、10年以上勤められた渡邊さん。年功序列によるキャリアアップで、そのまま勤めていれば、そこそこ安定の未来が用意されているはずだったのにも関わらず、渡邊さんが転職でもなく、「独立」を選んだ理由とは一体何でしょうか。


そのきっかけの一つは、「職場の2人の先輩」の存在だったそう。


一人は「周りからは鬼軍曹と呼ばれながらも仕事においては尊敬できるが、プライベートは自分の理想とは異なっていた人」、

もう一人は、「仕事においては尊敬できないが、プライベートは充実している人」でした。


当時、先輩からの誘いは一切断らなかったそう。自身でも「会社員の鏡だった(笑)。」というほど、仕事・飲み・家の往復の毎日だったそうです。仕事にも一生懸命打ち込み、自分の誘いも快く受ける後輩が可愛く見えたのか、ある時それぞれの家に招待された渡邊さん。

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渡邊さんは、「鬼軍曹先輩は仕事でも活躍しているし、素敵な家族に囲まれ、沢山稼いでさぞ立派な家に住んでいるんだろう。」と期待しながら訪ねていきました。

 

しかし、駐車場には自分が使っているような車種の車。玄関に行くと一人暮らし用の古びたアパートが出迎えてくれました。

「あれ?先輩たしか奥さんいたよな…」と不思議に思っていたのが伝わったのか、「俺、離婚しちゃったんだよね。笑」と少し寂しげに言う先輩。「あれ?」と職場での印象とのギャップを感じたと言います。


一方、もう一方の先輩の家にお邪魔すると、玄関からは美人の奥さん、片手には小さなお子さんを抱えながら、立派な一軒家で出迎えてくれました。絵に描いたような幸せそうな家庭…。


「離婚が悪いわけではないけど、尊敬する鬼軍曹の先輩はあんなに仕事ができるのに、もう一人の先輩となぜこうも違うのだろう。」


「目の前の仕事を、ただ一生懸命頑張れば幸せになれる。」


そう信じていた渡邊さんにとって、2人の先輩のプライベートにはギャップが大きかったそう。

でもこの経験は、渡邊さんにとっての転機でもありました。


会社が、自分の人生を保証してくれるわけではない。自分自身が、人生の経営者(オーナー)にならなければならない。


そう、気付かされたそう。


経営者と会社員、どちらが正解か不正解かという話ではなく、2人の先輩は、人生を考えるきっかけをくれました。


人生の選択肢は、もしかしたら自分の常識の外にあるかもしれない。


渡邊さんのお話は、そう思わせてくれます。

自分が今の延長線上でどうなるのか、改めて見つめ直してみたいと思います。